私のターニングポイントは、看護学校の研修で長崎のみさかえの園 に行ったことでした。そこには、重度の先天性障害を持った子供達 がいました。動かない手で、見えない目で必死におもちゃのピアノ を弾いてくれたのが脳裏から離れません。
 その後、私は小児ICU
で暫く働きました。そこで出逢った子供達は、ほとんどが染色 体異常でした。猫泣き症候群、先天性表皮水疱症、ダウン症、4P 症候群などなど・・・。染色体異常の子たちは、ほとんどが心臓に合併症を 持っていてその殆どが2歳~3歳くらいで亡くなっていきました。私 が受け持った全ての子供達は、今でも忘れていませんし、フルネー ムで名前も覚えています。何人もの子供達の看取りに立ち会いました。生まれ てからICUに入って2~3年の短い生涯を家族の腕の中ではなくこのICUの空間の中で一生懸命生きたのです。

 その当時、そのような子供達を授かった親達は、ほとんどが離婚し面 会にも来られない方もいました。当時、20代の若い私でも母親学 級で親に面談したり勉強会をしたりしなければならない場面があり ました。そこでは、「若いあんたになにがわかるのよ!」こう言わ れることもあり、すごく悩んだ時期もありました。

 それでも、クベース(保育器)の中で指しゃぶりしながらニッコリ 笑うくったくのない子、全身の力を振り絞って泣いている子達を見 るとそこに愛情を注がずにはいられませんでした。命の炎が精一杯 さけんでるんです。「死にたくない!生きたい!」と。

 一晩に3人看取った日もありました。看護師は、そこに浸る暇もな いくらい緊張の連続の中で仕事をしていました。それでも、子供達 と出会えてよかった!彼らと過ごした一瞬一瞬を大事にしよう!そ う思って頑張っていました。

 私は、その時に考えました。いつかこのような障害を持って生まれた子供たちが、たとえ重い障害があっても「家族」と共に生きていける未来ができたらいいなとずっとずっと思っていました。

 それから、長い月日が経ち、様々な偶然が重なり、導かれるような不思議な出会いがあってようやくその思いが形になろうとしています。在宅事業を始めて10年、少しづつその基盤ができてきました。これから、もう一歩進んで、あの時の天使たちからもらった沢山のプレゼントを胸に刻んで夢を現実の形に変えていきたいと思っています。
 糸賀一雄氏が残した言葉 『この子らを世の光に』⇒深いですね。。。生誕100周年を迎えました。私もこの志を引き継げるように努力いたします。