学校の事で、悩むママ達が最近、多くなってきているのは何故?夏休み期間中は、学校の先生達は、研修に明け暮れている。そこでどのような研修が行われているのだろう。
障害者差別解消法が今年の4月から本格的に謳われ、合理的配慮という言葉だけが一人歩きしているような気がする。
バクバクの会で今日、インクルーシブル教育が何故必要なのかというテーマで研修があっている。興味津々でしたが、残念ながら私は、いけませんでした。
障害者制度改革推進会議で、互いの多様性を認め合い、尊重する土壌を形成し、障害者のみならず障害のない人にとっても生きる力を育む事につながるとあります。

何度も、ここで紹介していますが、カナダの学校では、普通にどんなに重い障害がある子どもでも訓練された支援員さんが付き添い学校に来ていてそれが当たり前の文化があります。そして、健常者の方が障害を持った方々から多くの事を学ぶ事が多い事を実感しています。日本の現状を娘に伝えたら、ありえん‼️と、平均的日本人のものの考え方の薄さ?浅さ?を改めて感じているようでした。

私も経験の中で、日本の福祉のコンプライアンスを例にとると、どうでもいいような事がどうにもならなくて、いかんやろう⁉️と思う事がまかり通ってたり、不思議の国、日本です😩
最近、経験しているのが、用途変更の問題。福祉施設で100平米を超えると用途変更が必要になり、建築確認書がないと用途変更が困難になりそれをしようとすると100万以上かかります。お金をかけないためにどうやって使うかというと、100平米以上のところは、全部壁にしないといけないのです。アホみたいな制度😭
重心の施設を久留米の中心部に無いので清水の舞台から飛び降りてやっているけれど、制度の壁が次々に邪魔をする。。。
話は、ちがうけれど、きっと、東日本の地震に関しても、同じような壁があり中々進まないのでしょうね。。。

まぁまぁ、そこはいいとして、私の担当している子供達も(成人になった子も含めて)重い発達障害や難病のお子さん、肢体不自由のお子さん、数えたら、現役の子も含めて10人が普通の学校に通っています。1番最年長は、30才を超えていますが、友達の結婚式や飲み会など、今だにお誘いがあり、普通のお付き合いをしています。
最近では、田中大貴君の成人式には、小学校のお友達が皆で迎えに来て一緒に成人式や二次会に行っていました。小さい頃から、皆んな仲間なんですよね。障害があるなしで区別するんじゃなくて、1人の人として、どんなに重い障害があっても生きている証をつくり、学校生活や社会生活を可能な限り共に送る。普通に生きる。それぞれが、人として、それぞれの人生の中で、沢山の人と関わり、社会性を広げていく。これって普通ですよね?なんで、普通じゃなくなっているのでしょうね?重い障害を持って生まれた子供達、また、中途障害で寝たきりになった子達、沢山関わらせていただいてますけれど、皆が天使にしか見えません。
この子達には、この子達なりに与えられた大切な使命があるのです。それが何なのか、その答えを導き出していくのが今の学校教育に必要な事ではないでしょうか?それが合理的配慮を生み出していく事につながりませんか?