今日は、久留米市の重症心身障害児者地域生活支援事業の一環として行っている研修事業の5回目でした。今回は、NEXTEPの島津先生に講演をお願いし、災害時に必要な事と今後の課題、また、NEXTEPの子供達の様子や取り組みなども教えていただきました。2部では、私が担当しているたっくんと児童発達支援事業所ひだまりのおうちさん、レスプロ訪問看護さん、久留米市のかずまくんのママに登壇して頂き、動く重症児の地域生活を守るにはと題して、シンポジウム形式でお話しました。途中、画像のトラブルなどありましたが、医療ケア児の地域生活の現状と課題を知って頂く機会になったのではと思います。
来年度(29年度)も、短期入所支援事業、研修、連携会議、特別支援学校での相談会等、頑張っていきます。
呼吸器をつけているだけで普通に動き回れる、けれど、眠ってしまうと呼吸器のお世話にならないと息ができない。
毎日の生活の中で、気管切開している部分から痰の吸引が定期的に必要‼️このようなお子さんが地域に増えて来ています。
けれども、制度が追いついていなくて。。。
では、どんなことでママたちは、困っているのでしょうか?
当事者である私が担当している2人のママにメッセージをもらっています。

呼吸器をつけた動く重症児のママ達からのメッセージ

ともくんママより
私が在宅生活を送る中で一番困ったことは必要な時に必要な支援が受けられなかったことです。
色々なことが「困ってから対処する」というものなので、解決するまでに凄く時間がかかってその間の負担が大きかったです。
1人で病院まで連れて行くのは不可能なのに通院介助が利用出来なかったり、お風呂の介助が必要なのに介護が利用出来なかったり。
移動中や入浴、首の紐の交換などは、まだ理解出来ず暴れる乳児にとって毎回が命がけでした。
そして、子供は成長します。寝ている時期、お座りの時期、歩く時期、日々成長に合わせて困難なことは変わって行くのに、困る→相談→申請→認定と時間がかかっているうちにその分は必要なくなりまた新たに何か問題が出るの繰り返しです。前例がないとか、子供は対象じゃないとか言って時間がかかってる間も、母親は1人で全てを背負ってギリギリのところで踏ん張っているんだということを理解して欲しいです。

それから、訪問看護の時間が短いこと。
退院時は「毎日看護師さん来てくれるから大丈夫ですよ〜」と言われましたが、実際帰ってみると1日1時間だけみてもらっても殆ど負担軽減にはならないです。特に最初の数ヶ月間は自宅に毎日他人が入ることのストレスも大きく、でも耐えないと生活が成りたたないし…と在宅生活のおける様々なストレスで精神的におかしくなったこともありました。
看護師さんが1時間来てくれても、残りの23時間はほぼ1人で看護している状態でした。
動ける子なのでカニューレが抜けたり、呼吸器回路内の水が気管に流れ込んだりはしょっちゅうで、気管軟化症の為泣くと一声目で気道が塞がり呼吸不全で蘇生することが毎日何度も。
寝られないのはもちろん、日中も気を抜ける時間はありません。トイレに行った1~2分で真っ黒になっていたこともありました。
それでも家事もあるし、上の子のお世話もあります。特に上の子の相手を全くしてあげられなかったのは本当に悲しかったです。お腹を空かせているのになかなかご飯をあげられなくて、何度も可哀想な思いをさせてしまいました。
保険のこともあるとは思いますが、もう少し在宅医療児を支える家族を支えて貰える方法はないでしょうか?
 
最後に、ベビーカーです。
どうして人工呼吸器は荷物の扱いになるのですか?それがないと生きられない「命」そのものなのに荷物扱いされてバギー等の補助がないから病院の通院すら移動が大変でした。市販のベビーカーに、耐荷重を遥かに超えた医療機器を沢山載せて、正直危険です。国の基準がそうだからと言われたところで納得出来ません。
駐車場の係のおじさんに「ベビーカーならダメ」と、身障者スペースへの駐車を断られたことがあります。しかも大きな病院でです。手帳やまごころ駐車場の利用証も意味なく、呼吸器の回路が届かないからと伝えてもダメだと言われました。雨の中、複数あるスペースが全て空いているにも関わらずです。ベビーカーしか使えないのに、ベビーカーだというだけで色々な場所で身障者スペースを使うと係員が飛んできて注意されることはよくありました。でも、まごころ駐車場の利用証を貰いに行った時、対応してくれた方が「必要なので遠慮なく使って良いんですからね!」って言ってくれたのを思い出して、必要な時は躊躇わずに使えるようになりました(^^)
その一言が無かったら、外に出ることすら出来なくなっていたかもしれません。 理解してもらえないことも多いですが、理解してくれる人、理解しようとしてくれる人が少しでも居るとそれだけで救われることが多くあります。

今でこそだいぶ落ち着いて生活出来るようになりましたが、今でもまだハラハラすることは起こります。これから在宅生活を送るご家族のためにも、ぜひ色々検討していただきたいです。


たっくんママ

☆産まれてから退院まで


産まれてすぐに搬送され、

数時間後には今夜が山です、覚悟してくださいと言われました。


その後、先生も驚くほどの回復を成し遂げ、しばらくICUで過ごし、NICUへ移動


母として私が唯一してあげられる事は

母乳を届ける事。

しかし私は母乳が出る方ではなく、

直接あげることもできないためすぐにでなくなり

何もしてあげられないと悔しい思いでした。


毎日の様子を看護師さんが連絡帳に書いてくれました、それを励みに楽しみに毎日面会へ行きました。

今日は抱っこできるかもしれない

今日はおむつを替えてあげられるかもしれない

初めてオムツ交換と抱っこをしたのは

生後3ヶ月を過ぎたころでした。



退院の日取りを知ったのは

退院一ヶ月前でした。

準備がとにかく大変で、機械がどれくらいあるのか、どれくらい場所をとるのか、機械のバッテリーはどれくらいもつのか、災害時はどうすればいいのか…

バギーもとても悩みました、

荷物も重くたくさん持って移動するので

すべて乗るバギーが必要です。

特別に作ってもらうなら、数十万するそうです。

すべての人が買えるわけではありません

私は市販のバギーに板を貼り使っていましたが

やはり重いので曲がったり外出中に重さでタイヤが壊れたりなどがありました。



たくま本人の事もまだまだ分からない事だらけの中

1週間退院前に病院で一緒にお泊まりしました、

1週間後には2人きりの生活です。

退院までに、数時間、数日などのたくまとの

一時帰宅などあればもう少し余裕を持てたかもしれないと思いました。


入院生活は五ヶ月間、

トータル4回の手術でした。



初めてたくまを連れて

病院を出た瞬間からもうすでに不安でした


バッテリーは本当にまだもつのか

急に眠ってしまわないか

呼吸器の繋ぎ方は間違ってないか


など、全てが命に繋がってしまうこの現状に恐さを感じました。




☆退院からひだまりのおうちに通うまで




毎日、生きてる?息してる?から始まります

もちろん、可愛いと感じる事もたくさんありました、でもそれ以上に何度も何度もなる呼吸器やアラーム、その度に最悪の事を一瞬にして考えてしまう日々。


赤ちゃんの時から、睡眠時間が短く癇癪もあり

最長で三日間寝ずに呼吸器を付けられないため入院したこともあり、普段から15分〜30分おきにおきるような状況も続きました。


丸1日癇癪をおこしっぱなしの時もあり

何度も息が止まり、吹き返すとまた癇癪の連続です、息が止まるなんて一大事ですがそれが当たり前のような日々、


毎日が生きるか死ぬかのような気分すら慣れてきてしまう状況でした。



そんな中でも一歳すぎた頃にはズリバイができるようになり

どんな困難にも立ち向かう姿勢のたくまに励まされました。




3歳になる少し前

癇癪も激しく、人工鼻もつけられず、手足過敏で何にでも触れられない裸足であるけない、かといって靴下も履けない、そして寝ない、何度もカニューレを抜く、頭をたたく打ち付ける、つねるなどの自傷行為のような行動も目立つようになってきました。


私自身もっと知識や余裕を持って接する事ができたなら、もっとたくさんの事ができたはずだと後悔している事もあります。

毎日が死と隣り合わせで、このこの命の責任全てが私にかかっていることがとても不安でした



3歳になるころ

ひだまりのおうちと出会いました。

最初のころは週に3回の通園。


車で30〜40分の道のりが1時間30分

時には2時間ほどかかりました

座ったままの車内では、おしりの重みと下痢でびらん部分がとても痛み、激しい癇癪に何度も車をとめて通っていました



☆通い出してできるようになったこと



オムツ交換が我慢できるようになった


持てなかったビニール製品

靴下も履けるように


歩けなかったカーペットやマット


食べられなかったもの、着れなかったもの


たくさんたくさんのりこえて

癇癪も明らかに減り、夜間眠る時間も増えました

人工鼻も自分からつけられます


そして今では夜間自分で呼吸器を付ける練習をしてもらっています。


小さな変化にもすぐに気づいてくれる先生のおかげで、体調が悪化することもなく、4歳まで過ごせています



もしもひだまりのおうちに通っていなかったら

私もたくまも余裕などなく私は辛いと感じていたかもしれません。とても感謝しています。